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三度の飯と本が好き

体も心もデトックス?

 昨日の昼くらいから断食をしていた。ここ最近いろいろと食べすぎてなんとなく体が重くなったような気がしたので。といっても1日程度しかやらないつもりだし完全に自己流だから、目に見える効果があるとは思えないけど、まあそれは気分の問題だ。気分は大事。

 断食前の最後の食事には、名古屋駅の近くにある豆家 別邸 福福の、たっぷり野菜のおとうふ丼 (850円) を食べた。

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普段はめったに食べない豆腐料理だけど、断食前にはとにかくお腹にやさしいものがいいらしいので。…だけどこれがまた、むちゃくちゃおいしかったんだよねえ。やさしい味のお豆腐と、その上にかかったしょうが風味の餡が口の中で絡み合って……。
 お店は落ち着いた雰囲気だったし、個室だったし、夜には落ちついてお酒が呑めそうな感じ。

 夕方に帰宅してからは、お腹に栄養が入れられないならせめて頭に栄養を、とかなんとか思ってひたすら読書をしていた。ちょうどタイミングがいいことに、数日前にまとめて注文した本がブックオフオンラインから届いていたのだ。さてさて、何から読もうかな。早速包みを開け、読んだもののうちの一つが村田沙耶香『授乳』である。

授乳 (講談社文庫)

授乳 (講談社文庫)

 

 村田作品か…空腹を抱えた今の私にはちとヘヴィーだぜ…とも思ったのだが時すでに遅し、読みはじめてしまったのだから先に進むより仕方がない。案の定というかなんというか、一気に読了したあとはしばらくぼうっとしてしまった。村田作品には『コンビニ人間』から入って「なんだこれ!」と魅せられ、つづけて読んだ『タダイマトビラ』『殺人出産』でも圧倒されてきたのだけれど、この作品も期待を裏切らない凄まじさだった。

 この短編集では、人生の嘘っぽさだとか虚構性だとかがテーマのひとつになっている。それぞれ3人の主人公はその嘘っぽさに抵抗する術として、外の世界から切り離された、自分だけの世界を築き上げようとする。女子中学生と家庭教師との「ゲーム」、ぬいぐるみとの愛に溺れる少女、偶然出会った男性と「おままごと」のように理想の世界をつくり上げる女子大生。彼女たちの姿は控えめにいっても、かなり、狂っているように見える。ほんとうに3つの作品どれもが、濃密で、どす黒くて、強烈だ。読んでいてものすごく疲れる。

だけど、読み終わった後にどこかスッキリしたような気持ちになるのはなんでだろう。この疑問については、瀧井朝世による素晴らしい解説がほぼ答えを出してくれている。

……生きづらさを煮詰めて煮詰めて煮詰めきって描かれたもの、それが本書なのだろう。もしかすると、作家は煮詰めて吐き出すことで、私たちはそれを読んで心の奥のドロドロを解き放つことによって、壮絶なデトックスをしているのかもしれない。

この部分を読んだとき、あまりの的確さに思わず唸ってしまった。たしかにいわれてみれば、村田作品にはある種の「デトックス効果」があるように感じられる。本来の意味とはちょっとちがうけど、毒を取りこむことでそれに拒絶反応が起こって、ついでに自分の中にあるものも合わせてぜんぶ吐き出してしまうみたいな。
 なんとなく、高熱に苦しめられたあと、すっかり熱が引いて目覚めたときの気分に似ている。

 ただ私にとっては、デトックスというには少し物足りないみたい。だって、自分の頭と心のどこかに、作者が吐き出した毒がそのまま残っているからだ。私は自分の中にはじめからその毒を持っていたのかもしれないとも思う。だからそれを今さら追い出そうとは思わないし、追い出せないのかも。その毒の名前は、とっくの昔にもうわかっている。
 村田沙耶香のつくり上げる狂気的な世界観に気圧されながらも根っこの部分では共感してしまうのは、そいつのせいにちがいない。だから完全にはスッキリしきれないのだし、モヤモヤが残っても逆にそれが心地よく感じられるのだろう。思いかえしてみれば、はじめて読んだ時からずっと、私にとっての村田作品はそういう存在だった。だから立てつづけに読みたいとは絶対に思わないけど、あー、ほんと、癖になってしまう。


 そういえば、さきほど無事に約一日の断食期間を終えたので、今日の夜ごはんにはオクラの和え物と、野菜サラダと、きのこを食べた。五臓六腑に染み渡る美味しさ。やさしい食べ物に体がほっとゆるんだところで、次は『授乳』で疲れた頭と心に、やさしい物語でも詰めこむかなあ。